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橋本努の音楽エッセイ 第4回「内なる声の探求が他者との共振にいたる」

雑誌Actio 200910月号、23

 


 小さきものへの愛が、一つ一つ温められていくと、それらはやがて心のなかで飛翔し、奥行きのある壮大な世界を描き出す。そんなロマン主義時代を代表するピアノ作品の逸品に出会った。ロベルト・シューマン(1810-1856)のピアノ曲集、ル・サージュ(1964-)の演奏である(現在、Alpha社から「シューマン:ピアノ曲・室内音楽作品集」として刊行中)。とにかく目が醒める思いがする。徹底した解釈によって、一つ一つのフレーズに気魂がこめられる。あふれだす耽美的な情感に包まれつつも、決して理性を失わず、むしろその情感において内面世界を確実なものにする。強い意志の感じられる演奏だ。

 とりわけ第四巻の2枚組(Alpha 124)は圧巻。シューマンが24歳から29歳にかけて創作した作品集で、なかでも「フモレスケ」という小品が光る。当時28歳のシューマンには、クララという婚約者がいた。クララはすでにパリで『ロマンス集』を刊行して一躍有名になっていた。そのクララに対してシューマンは、ウィーンから宛てた手紙のなかで次のように書いている。「すばらしい。いつト短調の作品を書いたのかい? 3月に、ぼくも同じ霊感を受けたんだが、その霊感は、『フモレスケ』に見出されるはずだ。ぼくらの親和力は本当に奇妙だね。」

 ドイツ語のフモレスケ(ユーモア)とは、「心の平穏な」という意味と「機知に富んだ」という意味の二つが結びついた言葉だ。シューマンはこの言葉の意味が、フランス人には理解できないだろう、とある手紙のなかで書いている。実はフモレスケは、思想史的にみても重要な意義をもつ。フモレスケによって各人は、自分の「内なる声」を読み、平静を保ちながら自己の内面を探っていく。するとそこにはさまざまな声があって、その声に耳を傾けていくと、次第に自分の内面世界が豊かに構築されていく。他人に影響されず、自己が自足して、精神的に自律的であることができる。そのような「内なる声」の探究は、ドイツのロマン主義において顕著に現れたのだった。それまで政治的な自由が認められず、画一的な都市建築の空間で暮らしていたドイツ人が、小説と音楽と哲学の世界に「内面の自由」を求めていく。ヘルダーの言語起源論やゲーテの小説、シラーの戯曲などが代表的であり、音楽においてはシューベルトやシューマンが探究したものである。

 当時のロマン主義者たちは、各人が自己の内なる声を聞いて独自の世界を作り、それによって自律できると考えた。興味深いのは、シューマンも述べているように、内なる声に耳を傾けていくと、他者と精神的に合体するような交わり(すなわちコミュニオン)が可能になる点だ。小説や哲学や音楽の享受を通じて、内面的に自律した人たちは、互いに親和力をもって共振する。その美しき営みが、このCDにも込められている。

 シューマンは当時、音楽評論家としても名を馳せていた。彼が書いた『音楽と音楽家』(岩波文庫)は長く読みつがれている名著であり、私も彼の美しき魂に魅せられた。シューマンは、二つのペンネームをもっていた。激しやすい革命家としての「フロレスタン」と、やさしい夢想家としての「オイゼビウス」。この二つの顔は、ロマン主義者の二つの気質でもあり、シューマンに特有の人格を与えたと言えるだろう。芸術において革命を夢想する。その企ては現代においても、決して色あせていない。